座談会: 危機に立つ技術・工学教育
〜小・中・高校の技術教育を考える〜


●「縁の下の力持ち」では困る

 堀 東大工学部の「2020工学ビジョン」委員会で,有川先生が『21世紀の技術教育』という冊子を紹介されました。私も大学以前の工学教育にずっと危機感をもっていましたが、高校の先生方にはより切実な問題意識があることを知りました。「普通教育における技術教育」について電気学会の役割を考えたいと思って、きょう皆さんにお集まりいただいたわけです。まず自己紹介からお願いします。

 田中 中学・高校・短期大学などの指導員養成に携わって20年になります。アメリカの技術の歴史や技術教育の歴史を研究しています。
 日本では昨年、金属関係の中小企業が集まる「全金連合」の後押しで「モノづくり基盤技術振興基本法」という法律ができました。日本機械学会も3年ほど前から「小学校・中学校の技術教育」というシンポジウムを開いています。ここで電気学会が関心を持ってくれれば心強いですね。

 有川 東京大学教育学部の付属中・高校で技術科の専任教諭をしています。専攻は機械で内燃機関をやってきましたが、それをどう学習させるかを追究中です。なんとしても、技術科を大きくしたいのです。

 鶴田 大学院でプラズマの磁場閉じ込めの研究をしています。高専出身です。

 小池 高校生として何か現場の意見を言ってくれ、ということで出席しました。昔から機械いじりが趣味だったので技術は大好きですが、ちょっと踏み込みが足りないと思っています。

 三浦 文部省初等中等教育局の企画官です。うちの仕事は幼稚園から小・中・高校までの教科内容を決めてサポートすることです。私は特定の課に属していませんが、ご意見を承って参考にさせていただきます。

 堀 「2020工学ビジョン」委員会が作成した冊子『工学の未来を考える』の書き出しは「差別される工学」です。「工学」は縁の下の力持ちでいいのか。だれもが自動車、テレビ、コンピュータ、鉄道など重宝しているのに、できれば作る側に回りたくない。手を汚すかもしれない自衛隊を憲法に入れない国民性と一脈通じていて、工学がそうなりつつあるという危機感を抱いています。
 電線の地中化などとんでもないこと。色つきの電線をそこいら中にはわせて感謝しながら使うべきである。コンピュータやパワーエレクトロニクスを意識しない社会を作ることが、工学者の使命ではありません。工学は謙虚になりすぎたため、若者たちが理工系を敬遠する根本原因になっていると思います。
 工学部でも「情報」をキーワードにして、モノを作らない方に向かっています。情報を主導する人たちはかつて油にまみれた技術屋だったのに、年を取ってから「これからはモノでは駄目だ」などと文系との融合を説いたりする。アメリカはこの危うさに早々と気がついて,いまや普通課程での技術教育に大変な力を注いでいます。

●中学の「技術・家庭科」だけ

 田中 日本の普通教育での技術教育は、国際的に見ても非常に貧弱です。中学校にしかないし、しかも「技術・家庭科」という変則的な教科になっています。科研費をもらって3年ほど調査しましたが、「技術教育先進国」といわれるスウェーデンやフランス、大きな社会変化に対応したロシアやドイツ、それに韓国や台湾でも小学校3年ごろから高校1〜2年生まで技術教育は必修です。ヨーロッパでは労働組合が小・中学校の技術教育を支援する体制があり、工学系の学協会も熱心です。とくにアメリカやカナダが先進的で、電気ではIEEE,機械ではASMEが小学校から高校まで財政的にも人的にも支援しています。

 堀 大学の使命は文化の継承と先端分野の開拓で、基盤工学(バックボーンエンジニアリング)の継承が大切です。先端工学は「プロービング・エンジニアリング」と呼んだほうがいい。「触手を伸ばす」という意味ですが、100回のトライで5回ぐらい成功するというスタンスで臨むべきで,「基盤」をおろそかにしてはならない。
 これと同じ危険性が高校の個性化・多様化教育という文部省方針にもひそんでいて、大学の学部教育の弱体化を招いています。バックボーンが貧弱だから、大学の教養課程では数学などの補修が必要なのです。

 鶴田 数学ができない人も、入れるんですか。

 堀 そうです。例えば、大学で物理の単位を取らなくても理学部の物理学科に行けます。難しい科目を取ると平均点が下がって、競争率の高い学科には入れない。多様化の看板は、そういう弊害を生んでいます。

 有川 中高一貫で技術教育をやっていますが、中学校の「技術・家庭科」は両方合わせて週に2〜3時間。技術はほとんど1時間です。しかも、小さい学校では技術専任の教師は置かず、臨時免許の教師が担当しています。この科目は1960年代、産業や科学技術の進歩に対応できる技術教育をという趣旨で発足しました。初めは生産技術だったのに、学習指導要領の改定で生活技術に変わっていきました。次期改定で技術は「技術とモノづくり」と「情報とコンピュータ」に二分されますが、これは非常にまずい。
 東大附属高校は今年4月から「中等教育学校」という形で完全な中高一貫学校に移行し、自由度の高いカリキュラム研究が可能になります。その目玉として、理科と組み合わせて「科学・技術科」にしました。しかし,真理や理論を追究する科学と、人間の暮らしをよくする生産技術では目指すものは別なので、間に点を入れたのです。

●教育の現場で高まる危機意識

 田中 我々も10年ほど前から危機感を抱いていて、技術系の教員養成や研究に携わる者と現場の先生約800名で構成する日本産業技術教育学会が先ごろ『21世紀の技術教育』という提言を出しました。学習指導要領が改定されるたびに深い技術教育ができなくなるし、全部の生徒に技術を教える意義を明確にしなければならなかった。
 戦前の日本は技術教育の先進国でした。義務教育の6年間と高等小学校を合わせて8〜9年間、「図工」とか「工作」という名前の授業があった。モノを作る道具や機械の教育が系統的に行われ、それが戦後の経済復興や高度経済成長を支える国民的バックボーンになったのです。いまの子どもは道具は使えない。技術科の教師を目指す人でも、実習で鋳造をやらせるとバリをカンナで削ろうとします。

 堀 小・中・高での技術教育の位置付けは?

 田中 小学校4〜5年ぐらいまでは、やってみる面白さを味わうこと。自然の素材に触れながら,工作の経験をたくさん持たせます。中学校では、なぜそういうことが成り立つのかという背景や理屈を扱う。また高校では、技と理屈に加えて技術の社会的な役割、生活にとっての技術の意味などを考えさせます。
 内容には四つの柱があります。材料と加工技術、エネルギー変換技術、情報・システム・制御技術、生物育成技術。最後のは農業です。生きていくために必要な生産物を作り出す技術は,やはり欠かせない。小学校の「図画・工作」は「図・画・工作」で、図には技術的な製図が、工作には技術の工作も含まれるはずですが、小学校の教員養成は主に美術教育の人たちが担当しているんです。

 堀 家庭科は、男の子もやることになっている……。

 田中 最近、高校でも家庭科が男女必修になりました。

 三浦 衣食住をやらない人間はいないですからね。それに、男女平等に関する国際条約の義務でもあるんです。

 田中 衣食住には技術もかかわります。食料品の加工はともかく、食料品が作られる技術過程が見えにくい。女子差別撤廃条約では「女性に技術職業教育を与えよ」というトーンが強いんですが、日本では「家庭科を男子もやるべきだ」という方に傾いた。

●個性化・多様化・ゆとり……

 三浦 教育改革の目標は、ひと言でいえば「画一性の打破」です。いまは同じ年齢の人は同じことをし、同じことをめざせ、という思い込みがある。暗記力を見るペーパーテストで一元的な評価がまかり通り、これが偏差値につながって大学や高校をランキングする。先生も生徒もこの評価のための集中学習に明け暮れています。
 いろんな個性が混じっていてこそ、社会の活力が生まれる。「日本人は個性に欠けているから、アメリカに追いついたと思ったら混迷に陥ってしまうんだ」と経済界や大学の先生から毎日のように怒られています。積極的に児童・生徒の個性を伸ばし、日本国民に創造力をつけ、社会の活性化に役立たせようと高校教育改革をやっています。「多様化」「ゆとり」路線は,でたらめを許容したり質の低下を推進するものではありません。
 専門科は普通科よりも劣っていて、成績のよくない子が行く学校だという固定観念があるので,その両方にまたがる「総合学科」を懸命に広げつつあります。自分が実際にモノを作るほうに行くのがいいのか、アカデミックな勉強のほうがいいのか、めいめいが考えられる学校が目標です。まんべんなく全科目をやるのではなく、国際理解や情報処理に重点を置くなどして学校のタイプを増やします。
 その一環として東大付属に中高一貫制を作りました。高校入試を抜いたら実験・部活・読書のゆとりも生じます。理科の実験、技術科の実習も大いに歓迎です。高校では、将来の進路に応じて選べる科目を増やしてほしい。次の指導要領では「学校開設科目」といって,学校の裁量で技術科の科目を新た作ってもいいことになりました。
 また小学校の「総合的な学習の時間」は、学校の判断で何をやってもいい。環境・情報・国際・福祉といった問題は、特定の科目に収まらない。身近な素材を使って総合的な課題に取り組んでもらうためです。

 有川 技術教育は教科書だけでは難しく、いろいろな機械や物品を準備する必要があります。

 三浦 情報教育のために、例えばコンピュータを学校に急速に導入してインターネットの接続を進めています。情報の先生を増やす研修もやっています。

●カギを握る大学入試の個性化

 堀 確かに、多様化も大事なことです。

 三浦 大学の個性化は、入学選抜の個性化でもあります。大学がメッセージを初等・中等教育に送る最大の方法は入試です。医学部や工学部では、まず生物や物理で入試をやっていただきたい。「分数のできない大学生」と騒いでいる学校は、経済学部の入試に数学がない。
 多様化路線は,知・徳・体にバランスのとれた子どもになってほしいと願っているのです。部活も体験活動も、本当の理科の実験もしてみる。国語なら読書をする時間を与えることが、ゆとり教育の本質です。

 鶴田 入試センター試験の仕組みはどうなっているんですか。

 三浦 入試センターは「日本中の国公立大学の共同利用機関」という位置付けの機関で、ここで科目を決めてセンター試験を一斉にやっています。センター試験の目的は、基礎学力の到達度を見ることで、普通の勉強をしていれば6割はとれます。どの科目を使うかは大学の判断に任されており、あとの2次試験の内容も各大学の自由です。
 入試科目を減らすように指導したではないか、という批判もありましたが、センター試験を信用しないで2次試験で5教科7科目もやるのは無駄だと言ったのです。工学系なら工学に必要な科目を課せばいい。ところが、学生ほしさに両方を減らす方向に動いているわけです。

 堀 高校生の学力が低下しているのは事実だし、大学側も入試科目を減らして、受けやすくする……。

 三浦 受験生側にも反省すべき点があります。受験産業が発達しすぎていて,少しでも入試の楽なところに流れていく。東大の医学部ですら「物理・化学・生物すべてを試験します」と踏み切れないんです。それをしたら京大に逃げるんじゃないかと恐れるわけです。

 堀 工学部でも、多様化を表向きの理由にして専攻の必修科目をどんどん減らす。そうすると学生は結局、勉強しなくなる。自分で自分の首を絞めているのです。東大の入試は大きな影響力をもつわけですから、例えば15科目にしてしまう。これには文部省の指導力が必要で、「10科目以下の入試はやってはいけない」と決めてもらえば、多様化・個性化にずっと貢献できるんではないんですか。

 三浦 そんな動きが出てくるかもしれません。しかし子どもの数は減る一方で、大学がつぶれる時代といわれており、私学はちょっと難しいでしょうね。

 堀 次善の策として、大学が入試科目を減らすことは十分予測できる。だから,文部省は「入試科目を減らせといった覚えはない」というのは無責任であって,くい止めるための指導力が必要でしょう。

 三浦 代替策はいろいろ考えられます。例えば、入試に出さなくても、「履修科目指定」といって高校で生物の単位を取ったことを内申書で確認するという方法です。

●詰め込に知識もいつか役立つ

 堀 ここでまた技術教育に話を戻しましょう。

 小池 いまの技術教育には遊びが少ないと思います。有川先生の授業では蛍光灯スタンドを作るんですが、初めに図面を引き、「ここはこうして、ああして」と言われているうちに出来上がります。完成すればうれしいですが、自分で何かを作ろうとしていたことを忘れてしまいます。
 また、リニアモータを浮かすために何をすべきかと考える。交流モータだからインバータを付ければいい。では、どうやってインバータを作るか。本を読んでおもちゃを作り,さらにリニアモータのおもちゃも作ります。
 しかし、いまの技術教育ではそんな悠長なことはできません。いきなり論理回路が出てきて,訳の分からないベン図や真理値表が出て戸惑います。でも、いまは戸惑っている時間がありません。試験があるから真理値表などは読めるようになっておかないといけない。技術はいろいろな積み重ねだから、分からない人はどんどん嫌になる。いったん投げ出すと、技術離れになってしまう。
 普通教育では技術は「教養」ですよね。その道のプロになるわけではないんだから,しばり付けたりしないで、「迷っても分からなくてもいい」くらいの要素があったほうがいいと思います。

 堀 ただ最近、ツールとしての基礎知識が貧弱な人が増えてきました。どれもこれも中途半端です。中学校や高校のとき何の役に立つのか分からないことでも、わき目もふらずに勉強する必要がある、と私は思います。最初から目的意識をもつことも、もちろん大事なことですが……。

 鶴田 やはり詰め込み勉強も必要ですよ。甘ったれてはいけません。入試をやさしくする必要もないと思います。

 三浦 我々は「入試は一種類でなくてよい」と言っているんです。

 鶴田 就職率が悪ければ、学生はその大学に入りたいという気持ちもわかないでしょう。

 三浦 高校や中学もそこまでつながっていればいいんですが、偏差値や入試科目で選んでしまうのです。高専から編入したり,専門学校から特別枠で入ってくる人は、目的意識が非常に強く、大学での評価は非常に高い。一般の子どもたちも、小学校や中学校のときから将来を考えて自分の勉強してほしいと思っています。

●手先と志向性が技術を支える

 田中 工学部も情報化して、仮想の中で勝負するようになっているようです。技術の発展過程としてそうならざるを得ないのなら、小・中・高の教育はもっと実際との接点を大切にしたい。その点では高専の教育はうまく考えられていると思います。

 鶴田 私は理工系で、就職も楽だろうと高専に行ったんですが、決めていない人は普通高校に行きます。高専の1〜2年では、専門を学ぶために必要な基礎知識をつめ込むだけ。社会などの科目は少ないし、古典などほとんどやりませんから、当然どこか欠けている。

 堀 しかし、基礎知識のない人に創造性を期待しても無理でしょう。

 田中 進学普通高校の理系コースと高専のカリキュラムは似ていますが、高専生のほうが技術的な発想に優れています。全国で10校ぐらいでいいから、実験校を作って普通科の中で技術的な科目や教科をやってみたいですね。

 有川 うちの学校はあくまで「中等教育学校」のカリキュラムの実験ですから、普通高校でもそういう実験が必要です。

 鶴田 技術の好きな人が工業高校に行くんでしょう?

 三浦 普通科に行けないから工業高校を選ぶ子もいる。自分で積極的に選んだという誇りを持って行けるようになってほしいですね。さらに勉強したくなった人のために、大学に進学できる特別枠を作る。技術的な素養はすでに身につけているし,手先が動き志向性が高いので非常に評判がいい。

 田中 工業高校は進学が難しい、と考えてしまうんでしょうね。うちでは工業の教員養成をしますから、3割を工業高校出身者から推薦でとっています。実技関係は先生よりも上手だから、各学年でリーダー格になります。

 三浦 だから工学系の大学に「ぜひ特別枠を増やしてほしい」とお願いしているのです。

 田中 私どもの工学出身のスタッフは、以前は「高校までは数学と理科さえできればよく、技術的な発想は大学でやるからいい」と言っていたのに、最近は「大学ではもう遅い」というご意見です。しかし一般には「理科や数学をきちんとやっていれば技術は何とかなる」という考えが強いと思います。

 有川 うちの新しい「科学・技術科」でも、理学を充実させれば工学はなくてもいいといわれそうで、気がかりです。「そうではない」ということを言ってほしいのです。

●工学者は理論に働きを与える

 堀 どうやら、問題は制度にあるのではなく、我々自身にある。「工学より理学のほうが偉い」という気持ちが根強いんです。例えば、この「ビジョン」報告書でも「ちなみに私は理学部出身で工学部で仕事をしています」と、ぽろっと書いた人もいます。工学は理学の応用であってワンランク下という意識ですね。

 鶴田 私はそんな気持ちはあまりないけれど、東大でも理1の人たちは偏差値の高い理学部のほうに流れる傾向はありますね。就職を考えたら絶対に工学部のほうがいい。

 小池 日本は「アメリカのまねばかりしている」と言われてきたから、工学のほうが下に思えるんでしょう。でも、工学は工学で発展してきたものがある。半導体などは物理学者が考えたのでしょうが、それを組み合わせてすごい働きをさせたのは工学者であって、制御なども工学者がやっています。僕にも基礎物理のほうが応用物理より面白そうに見える。半導体よりもクォークのほうが面白いかな。でも、本当は平等なんだと思います。

 有川 小池君はいま、うちで今後やろうとしている「総合的な学習」にそのまま移行できると思いますが、卒業研究の課題で可変的なリニアモータの実験装置を1年半ほどかけてずっとやっているんです。

 小池 確かに機材もほとんど自分で設計し、マイコンのコードも自分で書き換えたから、自分の仕事だと思っています。「かなりヘボイが、どうだ! 僕はこんなの作ったんだぜ」とみんなにお披露目できる。人に役立つことも重要だけど、自己主張の一つの手段としてモノ作りをとらえてくれたらと思います。

 田中 いまの小学校は低学年でも、国語や算数の学習量が多すぎる。私は3年生ぐらいまでは教科は不要で、いろいろな体験学習を丁寧にやって、失敗したり遊んだりするのがいいと思います。10歳ぐらいが子どもの発達の一つの分かれ目なので、中学生はきちんとした学力をつける。高校はかなり自由度をもたせていいのですが、いまはそれが逆になっています。

 三浦 いま教育課程のあり方の変革期です。小学校低学年が詰め込む時期なのか、中高一貫も思春期だから区別を付けたほうがいいのか、いろんな意見があります。東大付属に差し上げた研究開発学校という制度も、いまの学習指導要領の枠を外していろいろな実験をするためです。
 全体の授業時間を増やせませんから、当然他の教科との調整が生じます。『21世紀の技術教育』の提言をいただきましたが、やはり図画・工作、理科とも調整が必要になります。そういう隣接教科の先生方と議論しながら学校で実験してみてほしいと思っています。

 堀 そうすると、技術教育をすごく重視するところが出てきてもいいわけですね。

 三浦 少なくとも高校に関してはもうできますし、小・中でも実験ベースでやることは制度的に可能です。実践してみて、よければ一般化します。

●技術の教員養成も大きな課題

 堀 文部省はさまざまな教育領域の中で、本当に「技術は大切だ」と思っているのでしょうか。

 三浦 「モノづくり」という用語が学習指導要領の中に登場しているように、重要性は高まっています。田中先生のところで提案された技術教育のカリキュラムを理系出身の職員に見せたら,「非常に盛りだくさんで,こんなに勉強したら技術が嫌いになってしまう」と言われました。高校の専門教科を中学に降ろしたような内容ですね。
 技術立国日本の基礎を幼いころにたたき込むのがねらいなのか、手を動かして学ぶ喜びを体験してほしいのか、どちらなのか精査する必要があると思います。
 小さいときからモノに触れ、道具を使って加工して,目的にかなった何かを作り出す体験をたくさん積むべきだという意見には同感です。図画・工作の中でも、技術を増やそうと思っています。新しい総合的な学習の時間ではモノ作りの比重は大きいですね。ただ、既存の科目とどう時間調整をしていくかが課題です。

 田中 今度の学習指導要領は、小学校からモノ作りをやろうという意図はよく分かるんですが、小学校に教師がどれぐらいいるでしょうか。材料をそろえたりするから、黒板だけの授業よりも精力も労力も必要です。
 学習指導要領がどう変わろうと、現場の教師さえしっかりしていればやれるんです。小学校の先生が1〜2週間、大学などでモノ作りの研修を受けることが必要です。

 田中 国立大学の工学部で技術の教員養成をやっているところは一つもありません。私立大学でも、僕の調べでは18大学しかなく、しかも首都圏と近畿圏に集中している。理学系の学会は、会員のかなりが高校の物理や化学の先生で、実際に考える足場がある。一方、工学系の学会は、自分たちの会員が現場で教える姿を見ることがない。だから意識的に動かないと何も始まりません。

 有川 たとえば東大工学部の学生が技術の免許をもって、うちで教育実習をすることになれば変わるだろうと思います。技術科の教員や教員養成をする人の数は非常に少ないので、ぜひ関連する工学系の学会や職業団体からお力添えをいただきたい。

 堀 学会や大学が高校のほうを向くようになったのは、ごく最近のことだと思います。電気学会は、大学より前の技術教育に対しても、理科教室や講習会以外の根の深い役割を果たすべきであると、今日はよく分かりました。

2000年1月29日
東京大学工学部総合試験所会議室にて

電気学会産業応用部門誌, Vol.120, No.5, pp.293-297, 2000.5 に掲載(テキスト部分のみ)