人に迷惑をかける
小学校の修学旅行に出かける娘の話を聞いて驚いた.旅行の注意と題する冊子の一番目はじめに,「人に迷惑をかけないようにしましょう」と書いてある.それも生徒の方で自主的に書くらしい.いつもそうだよ,という.バスの中ではおとなしくしましょう,見学の列は乱さないようにしましょう,旅館のエレベータは使わないようにしましょう,といった具合である.
人に迷惑をかけないということは,日本人の基本的こころえであり,無条件で受け入れられている美徳である.集団行動を得意とするわが民族にとって,この場合の「人」とは,神格化された普遍意思の権化である.これに迷惑をかけるなどということは,言語同断のきわめて悪いことなのである.
携帯電話を使用すると他のお客様,すなわち「人」の迷惑になります,という車内放送がひんぱんに流れる.電車の乗客は同一の時間と空間を共有している.まさに集団行動のまっただなかにある.携帯電話によって外とつながるという行為は,集団行動の規律を乱し,公共の場に個人を持ち込む重大な規則違反なのである.
このような「人」という概念が出てきたとたんに「個」の意思は抑圧され,すべての思考が停止する.われわれも,そのときどきにおいて最も都合のよい「人」という概念を設定し,人を説得したりする.
■質問をしない学生
大学に勤めはじめて約15年になる.その間に学生気質もかなり変わってきた.一言でいうと,質問をしなくなってきた.ものごとをわからないままにしておいても,平静でいられるようである.しかし,それよりも,質問をすると教官に迷惑をかけると思っているらしい.もちろん,こちらも忙しいから,割り込まれるといやな顔をするのかもしれない.それで遠慮してしまう.しかし,大学の教官は,基本的に,学生に迷惑をかけられることを心待ちにしているのである.
教官は「個」である.顔の見えない「人」ではない.「人」に迷惑をかけるのとはちょっと違う.この種の言葉のひとり歩きには,全くうんざりさせられる.「人」に迷惑をかけないようにしよう,という幼稚園以来れんめんと教育されてきた行動原理を,そのまま守り続けているのである.あるいはそういうことにしているのである.
教育とは,げに恐ろしきものかな,である.とくに小学校教育の影響力はすごい.余談になるが,小学校の1年坊主が,最近の雨は酸性雨だから,少しでもあたるとたちまちハゲてしまうと大真面目で思っている.
■大前提がくずれている
迷惑をかけて困る人がたくさんいたときには,迷惑をかけないことは正しく美徳であった.いまはこの大前提がくずれている.理論好きの頭でっかち学生がたくさんいたときは,大学の研究は数式をいじりまわすだけで役に立たない,という企業の批判は的を射たものであった.いま,数式の好きな学生は貴重である.細分化した専門に閉じこもる学者ばかりがいた時代には,学際工学や分野の融合化をとなえることによって,学問を正しい方向に導くことができた.しかし,いまや当たり前となったシステム工学の重要性を説くことに,いったいどれほどの意味があろうか.
にせジェネラリストをめざした結果は惨憺たるものである.ソフトな人間関係を良しとしたやさしさの教育によって,自分の意見や根っこをもたない,アマチュアのような学生が大量生産されているのではなかろうか.
もうそろそろ止めようではないか,数式を使わない工学教育などということは.学生はアマチュアではいけないのである.かつては当然のことであった前提が,いまや全く崩れさっていることを素直に認めなければならない.
■大学にも迷惑をかけてほしい
企業は大学に迷惑をかけているだろうか.たとえば,大学に応用的研究を委託したり,共同研究にしたりすることは大学にとって迷惑なことだろうか.答えは間違いなく否である.現実から遊離して大学の学問は存在しえない.大学人が世の中の動向をよく把握していたという時代は過去のものである.いまの若い教官や学生は,驚くほど世の中を知らない.いま大学に必要なことは,大学の研究が世の中としっかり関わりあっているという実感を持つこと,学生に与えることである.まさに工学の目的がそこにある.
産学共同とは迷惑をかけあうことである.迷惑をかけるということは,自分もまた迷惑をかけられるということでもある.多くの大学人は,この相互交流を望み,企業からももっと迷惑をかけてほしいと思っているはずである.
私の研究室に来た学生には,毎年こういうことを言っている.「人」に迷惑をかけなさい.この場合の「人」とは,教官や先輩や企業の人である.ずうずうしくでしゃばって人より得をしなさい.つまり,プロとしての自覚を持ち,利用できるものはどんどん利用して能力を磨きなさいということである.
私自身はいろいろな企業に迷惑をかけっぱなしである.しかし逆の実感はない.もっと迷惑をかけてくれれば学生たちの目も開かれるのにと,いつも残念に思っている.