基幹工学と睾丸の話
人類が言語を発達させたのは,従来,狩りや戦争において,合図をしたり作戦を練ったり,集団を組織したりするためだと言われてきたが,どうもいまひとつ説得力に欠けている。片言でも十分意思は伝わるからである。
動物を最も急速に進化させるのは,やはりオスとメス,男女の駆け引きの問題である。人類最大の特徴である言語が,これまた人間に固有の「浮気」に絡んでいるのはまったく自然である。 男は浮気の場で女を口説くために,優れた言語能力が必要とされる。男が言葉を巧みに操るとしたら,それはやはり女を口説く,とくに浮気で口説くときである。
男の浮気に対して女は同盟を結び,情報を交換する。実際,人のうわさ話を長々とするのは圧倒的に女の方だ。しかし,男にとって,女の浮気はもっと重大な間題である。女が浮気をすると,誰の子だかわからない子を身ごもるからである。男は,自分の子ではないというよほどの確証がない限り,その子を育てざるを得ない。自分の遺伝子を残すというしぶとい欲望の実現にとって,女の浮気の発見と防止は男にとってきわめて重要である。そのとき言語を使う必要性に大いに追られるのである。
アメリカのランガムという霊長類学者も似たことを言っているという。留守の間に妻が浮気をしなかったかと男が疑う。彼は周囲の人間にあれこれ聞いて情報を収集する。よく情報収集する男ほど妻の浮気を発見し防止できる。そういう男は他人の子を育てさせられる危険が少ない。彼は遺伝的にも,優れた言語能力をもつ者を次代に残す。
イギリスの動物行動学者ベイカーによると,人間の男には二つのタイプがあるという。睾丸の大きい男と小さい男である。これが,竹内さんいわくところの,文系男と理系男に見事に当てはまる。前者は浮気や性交に積極的なタイプ,後者は積極的ではない代わり女を厳しくガードするタイプである。
卵をめぐって複数のオスの精子が争う精子競争に勝利するには,とにかく大量の精子を女の体内に送り込むことが重要である。浮気など精子競争の発生する状況に出くわす可能性が高い文系男は,あふれんばかりの精子を製造しなければならない。そのため彼は睾丸を発達させる。逆に精子競争に出くわす可能性の少ない理系男は,精子を多く作る必要はない。よって睾丸も発達させる必要はない。大きすぎる睾丸は大怪我のもとにもなる。
文系男は女を口説くことに並々ならぬ情熱を持ち,パートナーがいても平気で浮気するようなタイプである。一方,理系男は大変な口ベタ。女を口説くことなど滅相もないが,浮気をせず子育てもよく手伝う。
あるとき文系男が台頭するが,勢力を伸ばしすぎて過当競争が発生,勢力は頭打ちとなる。その後,文理両者が拮抗しつつ互いに勢力を伸ばしたり,哀退したりする。それは世情の変化,とくに戦争状態にあるか平和なのかという状況によって影響される,というのが竹内さんの考えである。ベイカーも同様に,睾丸の大きい男は乱れた性関係を追求するが,その勢力は性病の流行により衰退するという。このとき睾丸の小さい男が勢力を盛り返す。しかし性病の流行が収まれば,また睾丸の大きい男が勢力を盛り返し…というサイクルが繰り返される。
さて,以上の話は,さまざまな霊長類と比較した結果,人類に見られる大きな特徴だという。どの霊長類も,何らかの形で,他のオスによる子殺しを避けようと努力してきたという。その手段として,人類は言語を選んだのである。実際,他の動物では子殺しという,やはり具合の悪いことが頻繁に起こっている。
これが正しいとすれば,文系と理系があるというのは,人類にとってかなり本質的なことである。(ここからは小生の考えである。)たしかに,われわれは物心ついたころから,あいつは文系,こいつは理系というような分類を好んでやってきたように思う。本質的な違いを敏感に嗅ぎとってきたようである。
いま,これからの工学は,文系的思考法を取り込んでいかねばならないという論調が流行している。もはや文系,理系などという垣根は無くなったのだ,という人も多い。しかし,これは人類の本質に反することではないか。文系人間と理系人間が共存するのは何ら問題ない。しかし,一人の人間の中に,両者の要素を求めるのは不自然である。ひとつの研究科や専攻に求めるのも同様である。それこそアイデンティティの喪失が起こる。
中途半端な大きさの睾丸の持ち主はどうやって生きていけばいいのだろう。極端に大きいか小さいかでなければ意味がない。睾丸の小さい男が,睾丸の大きな男にあこがれて,あたりかまわず女を口説こうとしても,これは無謀である。理系は理系である。睾丸は小さいのである。数は少なくても,いったんゲットした優れた女をしっかりガードするのがもって生まれた特質である。そして,日本人は,睾丸の小さい理系に優れた素養があると思う。
かつて,クリントン大統領はカンター通商代表に大きな権限を与え,日本の通産省と交渉して自動車などの市場を開かせようとしたけれども,結局うまくいかなかった。業を煮やしたクリントンは日本の弱点を調べ,金融にあることを見抜いた。そこで通産省を止めて,大蔵省と銀行を攻めたらあっさりくずれてしまった。そういうことではないのか。かように日本の製造業は強いのであり,下手くそな金融で食っていこうなどとしてはならないことを明白に物語っているのではないのか。
工学がこの教訓を生かせないとしたら,それはまさに自殺行為である。いま,基幹工学(バックボーンエンジニアリング)と名づけたものは,まさに睾丸の小さい男たちによって作られ,コツコツと育まれ発展を遂げてきたものである。わが国が本質的に優位にある分野である。大きな金玉にあこがれ,いっときの迷いで軽々しく捨てては決してならないのである。
★理系でも睾丸の大きい人はいるでしょう。その人は例外です。すみません。もとより,この文章を文字どおり解釈されては困ります。