危機に立つ電気工学教育


 数式を書けない学生が増えている。数式を理解することを拒む。拒絶反応と言ってもよい。自分で新しい数式を生み出すことなど、とてもじゃないが不可能である。

 実験のレポートに「考察」ではなく「感想文」を書く学生が増えている。たとえば、「測定値が理論と合わないのは誤差のせいだと思う」と書いてくる。誤差を調べてこそ考察である。ところがどうやったらいいか手も足も出ない。まず第一に、誤差を表わす数式モデルが書けないのだから先に進めない。

 1本の数式には何万言にまさる情報が凝縮されている。1本の数式は千万のデータより貴いことも少なくない。数式は偉大な発明である。まさに人類の英知の結晶であると言ってもよい。

 平成7年3月に東京大学を停年退官された茅 陽一先生は、卒業論文の学生に「もっと数式を使った議論にもちこまないと駄目だ」ということをよくおっしゃった。十数年前の話である。私は学生の指導を始めたばかりだった。数式にこだわる(ように見えた)茅先生のご指導に必ずしも賛成ではなかった。しかし今にして思えば、先生は学生の数式離れをいち早く察知しておられたのである。その慧眼にはただ敬服するしかない。

 学生の数式離れの一因が、行きすぎた科学技術の啓蒙にあることは明白である。「数式を使わないで最先端の科学技術を一般に解説する」ということは立派なことであり、科学技術をお茶の間に持ち込んだ功績は大きい。しかしすこし真面目にやりすぎたと思う。いささかの疑いをはさむことなく「○○ブックス」の類が大量発行され、数式は駆逐された。学会誌の解説記事から数式が消滅した。これは一般の人々の啓蒙には貢献したが、将来のプロたるべき学生を幼稚化してことごとくアマチュアにしてしまった。

 企業のもの言いも問題であった。「学校では数式ばかりいじっているが、そんなものは実社会ではほとんど役に立たないから入社したら再教育が必要だ(だから安心しなさい)」と言いすぎた。これはもちろん正しい。ただし、学生はみんな数式を使いすぎるという大前提の下でのみ正しい。学生はまったく素直である。こういうことを言われると、数式が出たらすぐ目をそむけるようになる。人間は楽な方に進む。数式の書けない学生が増え、産業界はあっという間に足元をすくわれている。まだこのことに気づいていない人事担当者がいる。もちろん、大学にもいる。

 いま工学は融合化、統合化の時代である。学際工学の重要性が叫ばれ、電気、機械などの分野の壁をこえた「先端学際工学」が花盛りである。しかしちょっと待ってほしい。これは逆行ではないか。昔は学問は全部哲学だったのだ。法学、医学が分かれ、理学、工学がひとり立ちし、さらに工学は、土木、建築、機械、化学、電気などに分化して発展した。もし、機械と電気が分かれなかったら、果たして今日のような発展をみたであろうか?否、分化したからこそ発展したと考えるべきである。やみくもに融合を唱えるのは問題点をうやむやにするだけであってきわめて危険である。明確な指針のないまま深い霧の中に進むようなものであり、それは工学の自殺行為である。

 数式を用いない、いわゆる新パラダイムと呼ばれる手法の安易な適用にも問題がある。初歩的なファジィ制御で倒立振子が立たないことは、簡単な安定論の計算から明白であるのにこれを試みる人があとを絶たない。まさに錬金術の二の舞を舞っているのである。キャッシュレジスタの原理は足し算という計算理論であることを忘れ、LSIの端子電圧の変化を観測してニューラルネットワークでこれを実現するようなことをやっている。たとえば、ニューラルネットによる巡回セールスマン問題の解法は実用には程遠く、はるかに効率のよい解法が存在することを忘れている。

 行きすぎた情報工学への信仰は禁物である。情報ということばをお題目のように唱え、数学、物理学、力学、電磁気学、回路工学...こういう数式がたくさん出てくる基礎科目がおろそかにされる。こんな科目はこれからの情報社会には不要であり、逆に、専門に優れた人材を遠ざけることになるというのである。大学は学科名を変える議論に長時間を費やし,機械情報システム工学科などという奇妙な名前の学科がどんどん生まれている。

 機械や電気を学び、数式をいじくりまわしてきたその果てに情報工学に進むという人はよい。その人の工学者としての歴史は立派に完結する。しかし初めから情報をやる学生は問題である。根となる基礎分野を持たない学生にはアイデンティテイが育たず、消耗品たるソフト屋か計算機環境作りの便利屋になるのが落ちである。いま、そういう学生を大真面目に大量生産しているのである。まさに、工学教育の危機と言わざるをえない。この何とも愚かしい風潮に異を唱えるには非常な勇気が必要である。十数年後に訪れるであろう自然のフィードバックを待つしかないのだろうか。

 ささやかな抵抗として、試験問題の出し方を変えることにした。「○○について数行で説明せよ」という問題を出してきたが、きわめて文学的な解答が返るようになった。数式は一切ない。数式を使うと説明はたいへんすっきりするのだから、文章ばかりで解答する理由はどこにもない。要するに数式が書けなくなっているのである。従って、わざわざ、「○○について数式をできるだけ多用して説明せよ」とすることにした。

 「よくわかる電気回路」というような教科書が出ている。そのうち「猿にもわかる電磁気学」なんて教科書が出そうである。冗談ではない。猿が電磁気学を理解するより先に学生が猿になるだけである。「難解制御工学」とか「わかるもんならわかってみろ電気機器学」というような教科書を誰か書かないかなあと思っているが、まだ見たことはない。


東電学園大学部図書委員会「もぐさ」,平成8年3月発行